真・MFC千夜一夜物語 第440話 MFCの歴史を振り返ろう その16

2024年07月16日

マスフローコントローラ(以下MFC)の歴史に関して振り返っています。
DecoがMFCメーカーから離れ、一介のコンサルタント、エヴァンジェリストとして過ごして10年になります。
これを期にMFCという不思議な工業製品の技術動向をその歴史を俯瞰しながらまとめて行きたいと思います。

それでは、日本はどうだったのでしょうか?
今や半導体向けコンポーネンツ、特にMFCといえば日本産のイメージを持つ読者も多い思います。
現に半導体製造装置向けMFCシェアの上位は堀場エステック、フジキン、プロテリアルといった日本メーカーが占めています。

特に堀場エステックは大きなシェアを維持しており、半導体に拘らなければ一般工業向けの雄であるブロンコストが世界シェア2位でそれに次ぐ形です。
ここまで日本のMFCメーカーが成長した理由は何でしょうか?
遡ると、前章で振れたタイランのFC-260シリーズ全盛期に戻ります。
1980年代の話です。
ここでタイランの日本法人は日本タイランとして、国内でのMFC生産供給で独占的な市場を形成していました。
当時のMFCの販売価格は今のそれしか知らない人に話すと、目が点になってしまうくらいの高額でした。
そこに目を付けたのが、現堀場エステックの前身である(株)スタンダードテクノロジです。
当時排ガス分析装置向けの校正用標準ガス濃度の統一基準を確立すべく堀場製作所、東芝ベックマン、島津製作所、高千穂化学工業、電気化学計器の出資で新会社スタンダードテクノロジが設立され、MFCを搭載した標準ガス発生器の販売を行っていました。
当然使用していたのは タイランのFC-260シリーズです。
しかし、コスト、性能、納期と言った問題があり、スタンダードテクノロジは自社開発に踏み切り、1980年国産初のSEC-Lが発表されたのです。

日本初の純国産MFC 出典:EAJ Journal 2017. 11 No. 159より

ちなみにSEC-Lは筆者もみた事が無いので、どなたか実物を見せて頂けたら幸いです。
このMFCがSEC-400シリーズを経て国内半導体メーカーに採用されるようになったのが、MFC王国日本の始まりだったのです。
その後スタンダードテクノロジはエステック、堀場エステックへと社名を変えながら、世界で初めてピエゾアクチュエーターを搭載した量産MFCであるSEC-4000シリーズで大きく飛躍していく事になるのでした。

【あなたにMFCの夜が来る~真・MFC千夜一夜物語】by Deco EZ-Japan